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2009年2月

2009/02/27

写真が・・・・・

入れられませんーーー(-。-)!

CDもCD-RもDVD-Rも認識しませんーーー、開きませんーーーー。

とほほほほほ・・・・・の状態です。

何故このパソコンは時々ストするの(▼▼)って感じです。

2日間ほどサポートを受けましたが、。゜゜(´O`)°゜。

もしかするとリカバリかもしれません。

まだデーター保存していないので、リカバリまでに色々準備があるし、旦那様にご報告しなくてはーーー(-。-)!

叱られるかもしれないです。゜゜(´O`)°゜。

旦那様よりわたしの方が使っているので、何か操作がまずかったとしたら、わたしのせいなんですよねーーーー。

色々撮った写真もあるけれども、描きかけの絵の写真もあるけれども、トホホホホ・・・・、アップできません・・・・・・。

この前撮った写真は一度パソコンに入れて、CD-Rに入れてしまったものねーー。

おまけに、今日、デジカメ撮影に行こうとしていたら、雨、雨、雨、雨、雨・・・・・・。

雨に濡れたらデジカメがだめになるし(-。-)!

わたしってもしかしたら雨女??

ちょっとショックです。゜゜(´O`)°゜。

*

*

あ、自転車でこけて、顔面を打ったり、体を打ったのは、もうほぼよくなりました。

こちらへ来て頂いて、ご心配頂いた皆さんありがとうございました。

お陰様でよくなりました。☆⌒(*^∇゜)v

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2009/02/18

転んでしまいました

昨日(2月17日)、自転車にいつも通り乗ろうとして転んでしまいました。

唇の外と中に怪我をして、ぶっくり腫れ上がっています。

おまけに膝やら肩やら腕やら痛みます。

昨日こけた当日より今日の方が辛いです。

それでなくても顔が不細工なのに、唇やら、おでこやら、頬やら怪我だらけで、二目と見られない顔になってしまいました。

あっちこち知らない間に打ったのか、体中痛いし、今日は何もしないで休憩していました。

歯の治療もこの間やっと終わったのに、また欠けたぽいです。

何か記事をアップすることもあまりないのですが、こけてしまったことを記事にしました。

運動神経が鈍くなっているのでしょうか?

ちょっと加齢が辛い気分になりました。

落ち込んだ後は元気になります。

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2009/02/14

映画「チェ・39歳別れの手紙」を観て②

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この「チェ・39歳別れの手紙」を観て特に感動したシーンがありました。

そのシーンの前に、チェ・ゲバラは最後の闘いをしていました。

負傷者を逃がすため、見方が散り散りになった中で一人、ライフルで応戦していました。

ライフルがだめになったら拳銃で応戦していました。

でも、チェ・ゲバラは脚を打たれ動けなくなりました。

チェ・ゲバラは捕まりました。

捕まったチェ・ゲバラは縛られ一つの部屋に入れられていました。

何度か敵のボリビア政府側の指揮者と言葉を交わし、猛烈に険悪な雰囲気でした。

そして、「お前ももうすぐそうなる!」と言われ、敵のポリビア政府側の人間からチェ・ゲバラの仲間の遺体を投げ込まれ、その遺体を引きずって引っ張りだしていきました。

それを見ていた見張りの敵兵が独り言のように言いました。

わたしが感動したシーンはそこから始まります。

敵兵:「遺体をあんなふうに扱うなんて酷いなーー」

敵兵:「タバコ吸うか」

チェ・ゲバラ:「ああ」

チェ・ゲバラは敵兵にタバコを吸わせてもらいます。

敵兵:「お前結婚しているか?」

チェ・ゲバラ:「ああ」

敵兵:「子供は?」

チェ・ゲバラ:「男2人、女3人いる」

敵兵:「そうか。」

敵兵:「お前の国も宗教はあるのか?」

チェ・ゲバラ:「ああ。あるよ。」

敵兵:「お前は何を信じるか?」

チェ・ゲバラ:「俺は人間を信じる」

と、答えた時、じーーんときました。

敵兵がさらに「タバコ吸うか?」とまた聞きました。

チェ・ゲバラ:「ああ」

またタバコを吸わせてもらいます。

そして、その時に「綱を外してくれ」とチェ・ゲバラが頼みます。

敵兵は泣きそうになりながら外へ出て、「俺はもう見張りが出来ない」「お前やってくれ」と仲間に頼みます。

そうなんです、そういう状況でも、チェ・ゲバラは諦めなかったのです。

そして、チェ・ゲバラは次の日射殺されます。

1発目の玉でバタンと倒れた衝撃が、チェ・ゲバラ自身が打たれたことが分かりました。

チェ・ゲバラの最後でした。

最後のスペイン語の歌と思われる歌が悲しさをそそります。

曲名も歌詞も分からないけれども、このチェ・ゲバラの「人間を信じる」心、「痛めつけられている人を救いたい」という気持ち、人類愛が、貫かれたチェ・ゲバラの尊い死に対し贈る悲しい歌でした。

悲しい歌だけれどもいい歌でした。

そして、この「チェ・39歳別れの手紙」の映画も悲しい映画ですがいい映画でした。

タムさんの映画「チェ・39歳別れの手紙」の記事

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映画「チェ・39歳別れの手紙」を観て

今日2009年2月14日は、色々イベントがありますが、まず、世間的にはセイント・バレンタインデーですね。

一応チョコレートは用意しましたが、自分で食べました。(チョコレート、ケーキ大好きです)

その、2月14日で、昨日春一番も吹きました。

数日前は黄砂も吹きました。

そして、今日は2月というのに暑いくらいの気温になっています。

いきなり春になってしまった?初夏になってしまった??って思ってしまうくらいです。

(実際にラジオを聞いていると、今日は4月から6月の気温だったそうです)

その中で、黄砂にも、春一番にも、セイント・バレンタインデーにもあまり関係ない記事を載せます。

2日前の、2月12日に、映画を観ました。

観た映画は「チェ・39歳別れの手紙」を観ました。

1、2週前に観たいと思っていたのですが、雑事が色々あって観れないでいました。

今週是非観たいと思っていました。

出来ればレディースディに観たかったのですが、水曜日は祝日(建国記念日)だったので、専業主婦にはあまり自由の時間がありません。

それで、12日木曜日と計画していました。

もう今回は一人で観ようと思っていたのですが、妹が「チェ・ゲバラの映画どうする?」と言うので、「え?○○ちゃんも観る?」と聞いたら、「うん、もちろん観るよ。」と言いました。

「あ、そうなの。じゃー一緒に観ようよ」ということになって、映画「チェ・39歳別れの手紙」を妹と観ました。

Img_7066mt  

ノートに手書きのボリビアの地図

この「チェ・39歳別れの手紙」という映画と、この映画の前に観た「チェ・28歳の革命」の続編、連作です。この2つの映画は、チェ・ゲバラの人間愛に目覚め、革命に目覚めてからの革命家としての伝記の映画です。チェ・ゲバラのその人の根底に流れる人間愛を実行するために革命を実行した人の伝記です。
もしこのブログ記事を読んでこの映画を観ようと思うわれるようでしたら、是非「チェ・28歳の革命」と、この「チェ・39歳別れの手紙」両方観て下さい。
チェ・ゲバラの人間愛を実行するのに選んだ手段は革命ですが、最後は死ですが、悲しい最後ですが、感動します。

ある意味搾取する政府や外国と闘って虐げられているその国の農民国民の生活改善向上を勝ち取るための革命で戦争です。
ただ、チェ・ゲバラにはその国民に対して生活をよくしてあげたいという愛が根底にあったのです。
ただの共産主義や社会主義の活動家とは違うのです。
映画で話している言葉はスペイン語で映像と字幕スーパーをひたすら読んで観ないといけないので少し大変ですが、興味を持たれた方は是非ご覧になって下さい。
内容は別れの手紙の方は悲しいENDですが観てきっとよかったと思います。

この映画「チェ・39歳別れの手紙」を観るにあたって、このボリビアという国を残念ながら調べないままでした。

また調べてアップ出来る機会がありましたらアップします。

この後「チェ・39歳別れの手紙」の映画内容に触れます。

ネタばれにもなりますので、これから映画をご覧になる方は観られた後、わたしのブログ記事をお読み下さい。

*

*

*

*

チェ・ゲバラは変装して、ボリビアへ潜入します。

あ、この男の人がチェ・ゲバラなんだな?と思いつつ観ていました。

変装はとっても上手くて、チェ・ゲバラとは誰も気がつかなかっただろうと思いました。

ボリビアで革命が上手くいってくれたらと願いたいでした。

「チェ・ゲバラはどうしたの??」その質問に、フィデル・カストロは、次の手紙を読み上げました。

*

フィデル

私は今 多くを思い出している

マリアの家で君と出会ったこと

革命戦争に誘われたこと

準備期間の あの緊張の日々

死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時ーーーー

死の現実性を突きつけられ慄然とした

後に それは真実だと知った

真の革命であれば

勝利か死しかないのだ

(途中略)

今 世界の他の国々がーーー

私の ささやかな協力を求めている

君はキューバの責任者だからできないが

私にはできる

別れの時が来たのだ

もし私が異国の空の下で死を迎えてもーーーーー

最後の思いはキューバ人民に向かうだろう

とりわけ君に

*

途中略してすいません。

著作権とかにひっかかるかもしれないとも思いまして略しました。

本当は全文載せたかったです。

チェ・ゲバラの搾取される世界の人々を救いたいという願い、今の地位も権力も全部捨てて、世界の搾取される人々を、革命でもっとちゃんとした生活を送らせてあげたいという願い、世界の搾取される人々に対する愛から彼は革命活動へとまた旅立ったのです。

最後の思いはキューバ人民に向かうだろうーーと書いている、チェ・ゲバラ。

「チェ・39歳別れの手紙」の最後は観る前から知っているつもりでしたが、やはり観らずにいられなかったです。

ボリビアの共産党の人も協力をしてくれない。

裏切り者も続出。

ボリビアの農村の人たちもキューバの人たちのようにあまり友好的でない。

盗聴したテープも見つかってしまう。

わたしが前回、「チェ・28歳の革命」で沢山感動したシーンの一つと同じように、「闘いを止めたい人前へ出なさい」と言ったとき、キューバでは残る人も多くいたのに、ボリビアでは、誰も残りませんでした。全員配給された荷物を置いて闘いを止めて去ってしまいました。もちろん、それでも、チェ・ゲバラは殺したりはしないけれども、ショックなシーンです。

隊が何度か分かれ、、チェ・ゲバラ達が病気を治してあげて、羊を買って、その時はとても喜んでくれた農家の人たちが、告発裏切り、結果的に分かれた別隊の全員が撃ち殺されたのはショックなシーンでした。

そして、チェ・ゲバラの苦しそうな喘息の病気。

色々が悲観的、絶望的でした。

でも、鉱山でストがあると聞くとそちらへ向かったり(一緒に闘おうと思っていました)していましたが、その鉱山の労働者たちは皆殺しされました。

雨の中の行軍ももちろんあります。

厳しい状況です。

つづきます。

タムさんの映画「チェ・39歳別れの手紙」の記事

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2009/02/10

09年1月中旬の写真

2009年1月中旬に撮った写真を今頃ですが、アップします。

門司の兄の所へ泊まりに行った時の写真です。

植物は名前が少々?ですが、気に入っているのでアップします。

Img_3115km

この植物は名前が少し?です。

もしかすると「エケベリア」かもしれません。

Img_3106m

これは分かります。

万両です。

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向かって左奥に八幡の工業地帯が見えます。

海がいい感じだなと思いました。

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ほぼ満開の梅の木もあります

Img_3167m 2月9日に○せ公園に行った時にロケハンをして、梅も描きたいと思い、マイデジカメで撮りました。

結局その日は梅の木は描かなかったのですが、ほぼ満開の梅の木が数本あったので、写真もアップしたいと思い、アップしました。

まず、紅梅です。手前の木も奥の木も沢山花が咲いていました。

沢山花が咲いている木とほとんど花が咲いていない木がありました。

ほぼ同じ所に植えられていますが、種類が少し違うのかしら?と思いました。

沢山花が咲いている紅梅の木はこのように赤い色がいっぱいでした。

Img_3172m

この日この時は青空が見えていました。

Img_3216m

白梅もこのようにたくさん咲いている木がありました。

この日この時陽が差したりしていたのに、エスキスを描いて自宅へ帰りついた途端雨が降り出しました。

エスキスを描いている途中から曇りだしてはいたのですが、用事が終わって降り出してよかったと思いました。

幸運でした。

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2月9日のロケハンの絵

Img_3227m 記事アップ途中ですが、一端ここまでとします。

お昼に記事アップしていましたが、一端休んでしまったら、夜になってしまいました(汗:)

この絵は、2月9日(昨日)に○せ公園に母と一緒にママチャリ2台で行って、09年2月の冬の、そして、春も近づいている風景をスケッチしました。

公園を一回り回って、母には歩いたり、自由にしてもらって、描いている間待ってもらいました。

ですから、母を待たせているので、あまり沢山は描けませんでした。(っていうかこれ1枚です)

絵コンテのような感じでもあり、わたしはスケッチと呼んでいますが、エスキスとも言うとか聞きました。

油絵の具で描くための準備の絵ですが、その時のイメージを繋ぎ止めるために、鉛筆と、水彩絵の具で描きました。

実際はもう少し薄暗く、川の水も森の木も、木の葉も黒っぽいのですが、描きあがったエスキスは、明るい色になってしまいました。

そして、川原の枯れ草のイメージはこのエスキスでは、表現できていません。

今、わたしは描きかけの絵がいっぱいです。

プロの画家の山口ももりさんが仰っていましたが、描きかけの絵があるってことは可能性がいっぱいだから素敵!!って・・・・・。

確かにそうなのですが、作品に仕上げていく段階でちゃんと仕上げ切れない絵も多いです。

2008年4月から描きかけの黄色い薔薇は、描いても描いても表現出来なくて、困っているのも実情です。

理想は、わたしが、完成したと思った時が見ている人も同じだったら、まあまあかな?って思って次の作品をと思うのですが、でも、わたしが今まで描いた絵はほとんどが未完ですねーーー。

自分でももう少しと思いつつ次へと描き移っています。

一つにはわたし自身が飽きっぽいということと、○hkの油絵講座の学習期間の期間が過ぎてしまいそうで、慌てふためいているというのも実情です。

特に黄色い薔薇はじっくり描きたいです。

なるべく黄色い薔薇がいい感じに描き表せるようにと思っています。

それで、この後、また黄色い薔薇の絵登場になると思います。

他の絵ももちろん描きます。

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今描きかけの絵たち

Img_3143kmt 2008年4月からの描きかけの花の絵

Img_3159m

2008年11月からキャンバスへ描きかけの絵

上の花の絵は昨年4月から描きかけです。

最初、このブログへアップした時はチューリップのように表現してしまいましたが、黄色い薔薇の絵です。
この絵はこのブログで何度もアップしています。
何度もアップしていますが、一枚の絵です。
この辺で・・・・・と思った時に、もう少し描き込んだ方がいいよというアドバイスを貰って、まだ描いています。
よくなっているのか、イマイチになっているのか、分からなくなっていますが、もう少し描かないとと思います。

それと、下の絵はスケッチそのものは、昨年の7月頃描いていたのですが、ようやく、08年の11月キャンバスへ描き起こしています。

1月に1回と、2月に1回描き足しています。

まだどちらも描きかけです。

まだまだ描かないと~~~です。

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2月10日の月

Img_3233m こんにちは。

この月は、09年2月10日、AM6時45分のその時に西の空に沈もうとしている月です。

夜が早く明けるようになりました。同じ時刻の太陽も撮ればよかったと後で思ったのですが、弁当作りがまだ待っていたので、太陽は撮れませんでした。

1月中旬頃のこの時刻はまだ空は暗い時間でした。

段々と日が長くなっていっています。

主人の弁当を作って、主人を見送っていると、主人が「月が真ん丸や」と言うので、見上げたら、丸く、西の空に月がありました。

それで、慌ててデジカメを持って来て撮りました。

わたしの写真では真ん丸く見えないかもしれませんが、丸かったです。

今朝の月は丸くて、少し赤味を帯びて大きく感じました。

赤い月は・・・・・と仰る方もいますが、今朝の月を見て、わたしは、「よし、今日も頑張るぞ」と思いました。

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