こんばんは♯
2012年、2回目のブログ記事アップです。
今夜、いえ日付が変わりましたので、夕べの夕食に作って食べた「ボタン鍋」の写真をアップします。
2012年2回目の記事アップですが、今日は1月15日です。
1月も半ばになりました。
この「ボタン鍋」のお肉はイノシシです。
この「ボタン鍋」の料理のレシピは、Yahooのグルメサイトで探して見つけました。
2つの「ボタン鍋」のレシピを参考にさせてもらいました。
このイノシシの肉は、主人が会社のお友達からそのお友達が山へ猟に行って手に入れたイノシシの肉を分けて下さって我が家の食卓へ登場しました。
イノシシの肉なんて食べたことがなくて、レシピの載った本も持っていないので、困った時のインターネットの検索様様で、インターネットで検索して、そのYahooのグルメのレシピを大いに参考にさせてもらいました。
[材料] イノシシの肉500g、白菜半分、白ネギ1本、キノコ類、豆腐1丁、板コンニャク1枚、大根、中くらい1本、ゴボウ1本、レンコン、粉山椒
[材料] 合わせ味噌、砂糖、こんぶ、みりん、カツオ節、酒 少々(イノシシの肉500gに対し味噌300gが目安=味噌汁より少し濃い目)
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[作り方] (1)カツオ節、こんぶで出しを取る(後で追加出来るように少し多めに取る)。
(2)ブロックのイノシシ肉は食べやすい大きさと厚さに切って、粉山椒をまぶす。
(3)野菜の下ごしらえをします。
ゴボウはささがきゴボウにする。大根は、そいで、下茹でする。コンニャクは、手でちぎって、あく抜きする。キノコは食べやすい大きさに小分けする。レンコンは、5mm厚さに輪切りにする。白菜は一口大くらいに切る。豆腐は、一口大より少し大きめに切る。白ネギは一口大の斜め切りにする。
(4)、(2)のイノシシ肉に酒を少々かけてまぶす。
(5)(1)の出しを適量土鍋に取って、砂糖、みりん、酒を少々を入れて、合わせ味噌を(イノシシ肉500gに対し味噌300gの目安、)味噌汁より少し濃い目に溶く。沸騰したところに、まずイノシシ肉を入れる。アクをとる。野菜は煮えにくいものから順に入れる。次にコンニャクを入れる。その次に豆腐を入れる。最後に白ネギを入れる。
沸騰して煮えたら、味噌が入っているので弱火にする。
(6)出し汁の追加を用意していて煮詰まったら、加える。
後で、うどんを入れる。
《メモ》イノシシ肉は煮れば煮るほど柔らかくなる。
*
イノシシ肉を戴いたので、野菜などを、主人と買い物に行って買いました。
家に帰って、母と一緒に野菜の下ごしらえをしました。
そして、母と一緒に、レシピの通りにボタン鍋を作りました。
お味は、美味しかったです☆:・☆::・’ ☆::・’☆::・’☆::・
お肉が硬いかもと思っていましたが、そんなに硬くなく、思ったより癖もなく食べ易かったです。
ささがきゴボウもボタン鍋に合いますが、思わずレンコンがよく合っていて美味しかったです。
明日はうどんを入れます。.........♪v(*'-^*)ゞ^;*・'゚☆ブイ☆
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追記: 1月27日に記入:
ブログのお友達のやまちゃんに何故イノシシの鍋がボタン鍋と言われるのかというお言葉を聞きまして、わたし自身も知らなかったので、インターネットで調べました。
その調べてネットに載っていたことをコピベでここに載せます。
・ぼたん鍋、名前の由来
「雪がちらちら丹波の宿に猪がとび込む牡丹鍋」とデカンショ節にも唄われる「ボタン鍋」は、猪肉を味噌で煮込んだ冬の鍋の代表格である。
「ボタン鍋」という名は、篠山市二階町の老舗旅館「近又楼」の先代当主佐々木章夫氏が、猪肉を「ボタンの花」になぞらえて並べ売り出したことが始まりといわれているが、実はそれ以前に「ボタン鍋」という名は実在していた。
昭和の初め、現在の篠山市篠山商工会の前身「篠山実業協会」が、「篠山小唄」の歌詞を一般募集したところ、当時篠山市立町在住の斉藤子効氏の歌詞が採用される事になり、そこで初めて「ボタン鍋」という名が登場した。
それ以前篠山では「イノ鍋」と称していたのだが、民謡の歌詞には7・5調が必要になり、どうしても「イノ鍋」では語呂が悪かったらしく「唐獅子牡丹」からボタンと名を発想し「ボタン鍋」と唄ったという。
その後「ボタン鍋」という名で全国に知れ渡り、丹波篠山の冬の名物として多くの人々に親しまれている。
・ぼたん鍋の起こり
馬や牛は存在しなかった縄文、弥生時代の頃は、イノシシは食料源として貴重なものであり、その後の古事記や日本書紀にも記述が見られます。
仏教が日本に伝来するとその影響で肉食が禁じられていましたが、実際にはかなり市中で獣肉が出回っていました。中でもイノシシの肉は美味とされ、江戸時代でも「山鯨」と称して食べ続けました。
このことは古典落語の「池田のシシ買い」でもわかります。
明治時代、肉食禁止が解かれると、兵庫県篠山町でみそ仕立てのぼたん鍋が生まれ、さらに食用として広く親しまれるようになりました。
篠山に陸軍歩兵部隊第70連隊が駐屯すると、彼らは訓練と称して捕獲したイノシシの肉をみそ汁にして食べ、さらにアレンジしたものが「ぼたん鍋」の起源になっているといわれています。
篠山で過ごした彼らは全国にぼたん鍋の存在とその中でも美味しいのは丹波篠山産ということを広めたといわれています。
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