こんにちは♪
今日は8月3日ですが、「kさんに会う2」のタイトルのこの記事では、7月28日のことを記事アップしたいと思います。
出来事があってから約1週間近く経っていますが、楽しく嬉しくいい出来事だったので、記録と記憶のためブログ記事としてアップしたいと思います。
7月27日に、初めて会った、kさんとkさんの旦那様に、28日にもお会いして、28日はわたしが、少々お邪魔虫な存在なのですが(kさん達お二人は決してわたしをお邪魔虫扱いなどはしませんでした)、kさんとkさんの旦那様のお二人にくっついて大分県内の小旅行に同行させて貰いました。
まず少し県北の豊後高田市の熊野磨崖仏を見るため、kさんの旦那様の車で国東方面へ向かいました。
豊後高田市の熊野磨崖仏を見るために坂道を登り、その次は物凄く急な石段を登りました。
熊野磨崖仏に会う前に、急な石段の途中で鳥居に会いました。
鳥居の上の方の柱に丸い輪っかがついているのがその神仏習合のことを表しているそうです。(玉井人さんのご指摘で、その輪っか【台輪】が神仏習合を表してはいないと分かりました。)
この鳥居のことは、わたしが2010年3月18日にこのブログ記事にアップしています、「国東&宇佐神宮ツアー」に、その時のバスガイドさんがお話ししてくれました。
そして、わたしは、その時(2010年の時)もこの熊野磨崖仏に会おうと思えば会えたはずですが、その時は雨が降っていましたのでパスしたため会わないままでした。
ですから今回(2012年7月28日に)、熊野磨崖仏に会えたのは、うん十年振りでした。
記憶はあまり確かではありませんが、以前わたしが熊野磨崖仏に会ったのは、わたしが中学生くらいの時でした。
それ以来の、熊野磨崖仏とのご対面でしたが、その途中の階段と坂道は、今の太って運動不足のわたしには、それはそれは大変なことでした。
息はハアハア上がって苦しいし、全部登れるかしら?と心配になるほどでした。
そんな中でやっと、熊野磨崖仏にご対面。
まだ上へ石段は続いていましたが、この熊野摩崖仏に会って満足して山を降りました。
kさんも、kさんの旦那様も健脚でした。
わたし一人で運動不足露呈で石段をハアハア言ってやっと登っていた状態です。
今日、一端ここで記事アップの途中ですが、途中まででアップします。
続きはまた今日か明日アップしたいと思います。
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P・S 熊野磨崖仏とその鳥居について追記: 追記を8月14日に書いています。
8月10日に、ブログのお友達の玉井人さんからコメントを戴きました。
そのコメントを戴くまで、「神仏混合」と表記していましたが、実は、「神仏習合」という言葉と分かりました。「神仏習合」とは、鳥居と仏像が同居していることです。そして、この「熊野磨崖仏」参拝の記事で熊野磨崖仏の鳥居は神仏習合の特徴を現した鳥居ではないそうです。わたしが、神仏習合を表している鳥居ですと言った理由の一つに鳥居の島木のすぐ下にある輪っか、つまり台輪があるのがその証拠ですとブログ記事アップしましたが、その後、玉井人さんのご指摘の後、ネットで調べましたところ、玉井人さんの言われるように、確かに台輪があることが神仏習合の証にはならず、台輪がある鳥居は、稲荷神社に多いと分かりました。そして、この熊野磨崖仏のある鳥居は、わたしは国東、宇佐特有と表現しましたが、玉井人さんのご指摘どおり、宇佐特有の鳥居でもありませんでした。ネットで調べましたところ、宇佐鳥居は、笠木の両端が刀のように反っていて、島木と、貫との間に額束(がくづかい)がなく、柱2本だけだと表記がありました。この熊野磨崖仏の鳥居は、額束がありますので違うと改めて分かりました。
玉井人さん、わざわざご指摘のコメントをありがとうございました。
ブログ記事アップする前によく調べないで記事アップして間違ったことを表記していてすいませんでした。間違いだと分かって訂正出来てよかったです。玉井人さんありがとうございました。
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これより後の昼食の記事は8月3日に記事アップしました。
こんばんはの時間になりました。
今日は記事アップ途中でお出掛けしないといけなかったので、今続きをアップしています。
熊野磨崖仏に会って、杵築方面へkさんの旦那様の車で移動しました。
お昼ごはんを食べましょうと言う事になって、kさんの旦那様が前もってチェックしていた「和遊食彩みのり」というお店に行きました。
店構え
内装も少し古民家風
そして、食事。
わたしは、りゆきゅう丼です。
この時に、kさんから「何故『りゅうきゅう丼』と言うのですか?お宅でも言いますか?」と聞かれたので、実は、わたしは、大分生まれ、大分育ちで、昔から「りゅうきゅう」を食べていましたが、あまり何故「りゅうきゅう」と言うのかは知らないですと答えました。そして、我が家では、「りゅうきゅう丼」とは言わず、「りゅうきゅう」と言います。そして、お魚は鯖や、鯵や、魚の刺身にした残りなどを、醤油、みりん、刻みネギなどで調味したタレに漬けて、それをご飯の上に乗せて熱いお茶をかけて食べていましたとお伝えしました。(以前TVで放送があったりした内容では、「りゅうきゅう」と言うのは、やはり「琉球」=「沖縄」から来ているものだそうです。ただ、今では沖縄ではこの料理は食べられることはないそうです。 そして、ネットで調べましたら、この「りゅうきゅう」は、昔沖縄から伝わったであろけれども、更に、大分では、新鮮な鯖や、鯵が取れるので、郷土の料理となったようです。)
「和遊食彩みのり」の「りゅうきゅう丼」美味しかったです。
「kさんに会う」旅シリーズ続きます。
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