大河ドラマ「軍師 官兵衛」を観て
こんばんは。
今日は、12月31日で、後数時間もすれば新しい年になります。
2014年も残り少なくなりました。
今回の記事は、「大河ドラマ『軍師 官兵衛』を観て」ですが、今年のNHKの大河ドラマの「軍師 官兵衛」は、12月21日にすでに終わっています。
それでもブログ記事にしようと思ったのは、例のごとくわたしの記憶と記録のためと、今年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」は、わたしにとってはとても気になって観たいと思ったドラマだったからです。
今年2014年の大河ドラマの「軍師 官兵衛」は、そのほとんどをブルーレイに録画して観ました。
録画して観たとはいえこれだけ熱心にわたしが大河ドラマを観たのは成人してから初めてのことでした。
一つには舞台が大分の中津や石垣原を舞台にして話があるということも気になった理由の一つですが、キャストなど色々他のことも気になっていたという理由もあります。
そして今回の「軍師 官兵衛」は期待を裏切りませんでした。
2014年のNHKの大河ドラマの「軍師 官兵衛」は、1月5日から始まり、12月21日までで終わりました。
オープニングのTV画面。
この画面を毎回観ていました。
オープニングの終わりの方に、撮影協力 大分県 という文字が入っているのを見るのも楽しみでした。
主演の岡田 准一も好演していました。
あまり歴史が得意でもないわたしですが、時代背景などの説明もさり気なく入っていて楽しく観ていました。
わたしの子供に時々説明して貰ったりして、より分かりやすくなって観ていました。
<黒田官兵衛の年表>
1546(天文15)年 播磨国姫路に生まれる。
父職隆 、小寺政職に仕える。
1562(永禄5)年 元服 名を孝高、通称を 官兵衛とする。
1575(天正3)年 織田信長に謁見、秀吉の配下に入る。
1577(天正5)年 中国征伐のため姫路城を秀吉に差し出す。
1578(天正6)年 荒木村重が信長に離反。
説得に有岡城に向かうも捕縛され幽閉される。
1579(天正7)年 救出される。
1582(天正10)年 備中高松城水攻め、本能寺の変、中国大返し、
山崎の戦い
1583(天正11)年 大阪城築城に際し、普請奉行となる。
キリスト教の洗礼を受ける(洗礼名 ドン・シメオン)
1585(天正13)年 四国征伐
1586(天正14)年 九州征伐の先鋒を務め、豊前国に侵攻
1587(天正15)年 7月豊前6郡を拝領
1588(天正16)年 中津城築城開始
宇都宮鎮房降伏。
4月中津城内にて宇都宮鎮房を討つ。
1589(天正17)年 家督を長政に譲る。
後に出家して如水と号す
1590(天正18)年 小田原城攻め
1592(文禄元)年 文禄の役、宇喜多秀家の軍監として朝鮮に渡る。
1597(慶長2)年 慶長の役、小早川秀秋の軍監として参加
1600(慶長5)年 9月関ヶ原の戦い。
九州では石垣原の戦い。官兵衛軍、大友軍を撃破。
長政の筑前52万石移封に伴い、福岡に移る。
1604(慶長9)年 3月20日59歳で京都にて逝去。
※
「大河ドラマ『軍師 官兵衛』を観て」つづきます。
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