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2018/02/26

私的な記憶のため・・・、1

こんにちは。今日は2018年の2月26日です。
昨日まで行われていた韓国での平昌(ピョンチャン)オリンピックも昨日で閉会しました。
時の流れに乗れないわたしだな~と思いつつ、少しブログ記事アップの間が空いてしまって、オリンピックに思うことも記事アップ出来ないまま平昌オリンピックも終わってしまいました。
何をブログ記事アップしょうかしら・・・・と思いながらパソコンを開けていて、ズーーンと心に伸し掛かっていることの一つを記事アップしょうと思いました。
この「ホタルと月の国」のブログは今はほとんど誰も見ていないブログですし、ブログというものは日記形式のHPとも言われているので、誰も見ていないブログなのであれば、自分のための記憶と記録のためにも記事アップしてもいいかもしれないと思いました。以前自分の記憶と記録のためと称して何度かブログ記事をアップしたこともありますが、今回この記事は、本当に私的な記憶のためということに近い記事です。○○です とか表記していても結果的に自分に言っている感じでもありますが、ブログ記事アップしたいと思います。

わたしは、子供の頃は自分が世の中の寄生虫とは思っていませんでした。
でも、父から何度も何度も何度も「お前はダメな奴」「お前はいらん奴」、「お前は余計な奴」「お前がいなかったらなんぼ良かったかもしれん」「お前の作ったみような物は食えれん」と言われ続け、父から「お前がダメな奴ということをお前の頭に叩き込んでおけ」と言われ続けました。わたしが家族の為や父の為に作った食べ物はローティーンの時ですが、何度もゴミ箱へ捨てられてしまいました。勿論何かにつけ怒鳴られ、叩かれ、殴られ、蹴られました。わたしは、いつの頃から自分はダメな奴だと思うようになりました。父から誉められたことは一度もありませんが、母からも一度も誉められたことはありません。母は妹とは遊んであげていましたが、わたしと遊んでくれた記憶がわたしには一度もありません。父にはカメラの三脚を持っていたわたしから三脚をもぎ取ろうとしてわたしの左手の人差し指の爪を剥ぎ取りました。爪を剥いでやろうという父の積極的な意図はなかったかもしれませんが、父のカメラの大事な三脚を持っているわたしが許せなかったのは事実だと思います。三脚の脚と脚の間に挟まったわたしの左の人差し指のためわたしが三脚から手が離れないままでいることを許せず、そのカメラの三脚を振り上げて振り下ろしたのですから。その子供の時のわたしの体は宙に振り上がり、振り下ろされ、左の人差し指に激痛が走る夢を今も時々見ます。わたしの左の人差し指の爪と身は剥がれてしまいました。もうそれから何十年も経ちましたが、指は変形しています。
わたしは小さな子供の頃は自分が世の中の寄生虫とかお荷物だとか思っていませんでしたが、その後大きな精神的な病気をして、世の中の普通の会社でも家の中でも仕事という仕事は出来ない人になってしまいました。当時の病院の先生に「絵を描きたいです」と言ったら、「そんなことは止めときなさい」「あなたには向いていません」と言われ、泣く泣くその時は絵を描くことを諦めました。その時から何年間かは、絵を描かないでいました。わたしは、年齢的には20歳をその時過ぎていましたが、わたしが世の中のお荷物、世の中の寄生虫のように感じました。世の中にわたしは必要とされていないと思いました。また十数年してとっても絵を描きたくなりました。旦那様に許可を得て絵をまた描くようになりました。と言うか、油絵はこの頃初めて描き始めました。この再び絵を描き始めた頃は今思うとわたしにはいい日々でした。絵を描くということも生活が充実していましたが、それだけではなく、まだ母も認知症気味ではなく元気だったので、色んな意味でわたしには充実した日々でした。自分が世の中の寄生虫だとその頃はあまり思っていませんでした。でも、その後絵が中々描けなくなり、父の嫌がらせも再燃し(ずっと続いていたのですが、より酷く)、主人にも子供にも今までの友達にも、わたしは必要とされていないと感じ、昨年は腰も痛め、心と体両方病を持っているということも気力が継続力が出てこない現実の日々の到来です。色んなネットでのお知り合いのお友達に何度か励まされましたが、気力は継続力は中々出て来ません。昨年10月に描き始めた絵はまだ描きかけです。本当は○美展は、18日が搬入日でした。その絵の描き具合はまだ50%の描き込み具合です。残念でなりません。気持ちを切り替えて来シーズンの締切には、きっとと思ってみるものの継続力となりません。
つづきます。

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コメント

スマホを使うようになり、こちらには随分ご無沙汰しました。
開いてもう、何も言えません、打ちのめされてしまいました。まるで小説でも読んでいるようでした。許せない・・・、涙が出ました。誰も味方が、心に寄り添ってくれる人がいなかったのかと怒りさえ覚えます。
どんなにお辛かったでしょう。お医者さんさえ味方ではなかった。本当に孤独でしたね。
ブログを読む限り、月さんのには明るさがありました。つらさを乗り切って今に至ったと言うことが、月さんの素晴らしさ、強い人格だと思います。
この境遇だったら月さんとは逆の方向に行く人の方が多いと思います。
辛さのその都度自分をまっすぐ持ちこたえた月さんは正々堂々と生きる価値が十分すぎるほどあります。むしろ誇りにもなります。
思い切って文字にされたことで、心の闇が薄くなるといいのですが。
今まで通りに絵のアップを待ってますよ!

こんばんは

月さんは明るいです。
確かに明るい人です。
太陽ではない明るさ。
月の明るさ。
太陽のようにはまぶしくギラギラしてない明るさ。

満月で夜道も歩ける、夜だけど満月で本だって読める夜。
子供のころ満月の夜は縁側で月の光で本を読んだこともありました。

月さんは、そういう明るさだと思います。
明るい人です。

◇こんばんは、ちゃぐままさん。
コメントをありがとうございました。
お返事コメント遅くなってごめんなさい。
この重苦しいブログ記事を読んで頂いて
この記事にコメント頂いて、嬉しく感じ、
また申し訳なく感じます。
共感して頂いて、励まして頂いて
ありがとうございます。
小説ですかーー。フィクションではないです。
時々煮詰まるような、落ち込むような気持に
なって、猛烈な孤独を感じています。
その苦しい気持ちが何となく自分では何が
切っ掛けか分かりませんが、ふっと楽に
なったり、穏やかになったりしている時も
あります。
今まで一生懸命生きて来ました。
この後も一生懸命生きたいです。
ちゃぐままさんから言われて気が付いたの
ですが、今わたしの心の中にある闇を
薄くしたかったのかもしれないです、今回
文章にしてブログ記事アップしたのは・・・。
今日少し描きかけの絵に加筆しました。
前向きに出来れば明るく生きたいです。
ちゃぐままさん応援をありがとうござい
ました。

◇こんばんは、由美さん。
由美さん、沢山コメントをありがとうござい
ました。
この重苦しくって暗いわたしのブログ記事を
読んで頂き、励ましのコメント頂きありがとう
ございます。
コメント頂いて嬉しく思い、そして申し訳なく
思います。
そして有難いです。
わたしを月だと、明るい月だと言って頂いて
ありがとうございます。
そういう明るい月もいいですね。
由美さんありがとうございました。

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